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一人で抱え込んでいた傷。大切なのは女性が自分を大事にすること。

会社員・ママ/45才                                   



学級委員長タイプの少女時代。


「お前が生まれた時、本当は家を出て行きたかった。」


父が亡くなる前にそう言われて複雑な気持ちになった。

両親は夫婦仲があまり良くなかったのだ。


3人兄弟の長女で、祖父母も同居の大家族だった。

父は警察官。いろんなところに遊びに連れて行ってくれたが、飲みに出かけるのが好きで、あまり家にいなかった。


父には思う存分甘えられなかったように思う。

母も忙しく、おばあちゃんと一緒にいることが多かったけど、いつももっと愛が欲しいと感じていた。


幼稚園のころから活発なタイプで、小学校では学級委員や生徒会で活躍する、ちょっと目立つ子だった。

一方、妹は控えめなタイプで、面倒見が良く、保健委員になりたがるような子。


当時は「保健委員なんてやりたい人いるの?!」と感じたし、目立つ姉の影響が大きくて苦しめたかもしれない、と今となっては思う。

今でこそ、自分の娘が控えめな「保健委員」タイプなので、

その子らしいなと尊重できるけれど、

その当時は、「考え方は人それぞれ」ということが理解できなかった。

「絶対こっちの方がいいじゃん!」と思うことが多かった。

世界は自分を中心に動いているような気さえしていた。



誰にも打ち明けられなかった傷。


ずっと心に引っかかってて誰にも言えなかったことがある。

大人になってから誰かに打ち明けたくて、ホットラインの電話サービスにかけようと思ったけど、それさえできなかった。

それをここで話したいと思う。


それは小学生のころ、担任の先生に性的な接触をされていたこと。

とてもじゃないけど親にも言えなかったし、大人になって親になった今でもモヤモヤが消えず、どう消化していいかわからない。


小学校6年間のうち4年間担任になった楽しい男の先生だった。

私は父に甘えたいけど思うように甘えられない欲求から、先生によくくっつきに行っていた。


先生の膝の上に乗ったとき、お股を触られ、パンツに手を入れられた。

「これはやばいことだ」と直感的に感じて離れた。

周りに他の子がいてもスカートの中にこっそり手を入れられたりもした。

そんなことが頻繁にあった。


イヤだと感じていたけど、甘えたくてまた近づいてしまう。

「そんな自分が事態を招いてしまってたのではないか。」

「母も先生を信頼していたし、やっぱり私が悪いのかな。」

そんなふうに思って誰にも話せなかった。

先生を悪者にしたくない気持ちもあった。



被害者側が数十年抱える罪悪感。


今でいう典型的な「性的グルーミング」(大人が子どもと親密な関係になり信頼を得ておいて、性的な行為を行おうとすること)だけど、当時はもちろんそんなことはわからなかった。

頻繁に被害に遭ったのは3、4年生のころで、高学年になって理解ができるようになる頃には無くなっていった。


数年前、その先生に再会したことがあったが、やっぱり複雑な気持ちだった。

被害を受けた方が後ろめたい気持ちになり、ずっと罪悪感を抱えている。

それが他の暴力とは全く違うところだ。


そして45歳になった今でも、心に何かが溜まっているし、それでも口を閉ざさせる力がある。


大人になって付き合った人にはセックスばかりを求めてしまった。

やっぱり男性に愛や触れ合いを求めて、すぐに体を許してしまう。


もっと自分を大事にすればよかったと思うし、その後悔の分、自分の子どもたちには、自分の気持ちや体を大事にしてほしいと思う。

そんな気持ちで今は性の学びの場作りもしている。



夫からの愛を確かめられた事件。


結婚は26才のとき。

好奇心で雑草を食べるような夫に、この人は何があっても生きていけると思ったのが決め手だった。


いい人だけど、ちょっと封建的なところがあり、いつも言い方が乱暴。


ボランティア活動に頻繁に参加していたときなど、ごはんも作らず1日何してた?!と大反対されたこともある。


その後一人目の出産が大変だったのもあり産後はセックスすることが減ったけど、レスというほどではなく、したいなと思うときと受精のタイミングがぴったりだった。自然に沿った暮らしは自然の摂理に従って動物と同じように命を授かることができるものだ。


あるとき、私が職場でハラスメントを受けて、心がまいってしまい、ごはんも食べられなかった時期があった。

そのときは普段厳しい夫が、私のために言い返してくれて、一緒に対策を考え、守ってくれた。とても頼もしい存在だった。


正直、夫とは熟年離婚してやる! と思っていたけど、この件があって、夫とは絶対離婚しないと思えた。

そのことを本人に伝えたら、

「そんなことがないとわからないなんてお前はバカだよ」と言われたけど、

私はそれがないと確かめられなかった。

夫はこれからも学びを与えてくれる存在だと思う。



怖れていた家族の死に直面して。


小さいころに原爆の映画を観てから漠然と「死ぬ」のがとても怖かった。

自分も、親もいつか死ぬのかと思うととても恐ろしかった。


でも、ここ数年で父と祖母を病気・老衰で亡くし、その姿を目の当たりにして変わってきた。

祖母は最後足が壊死していて、いつも痛い痛いと言っていたので、そこにお灸やマッサージで手当をしてあげた。


祖母が亡くなる直前、母に呼ばれて駆けつけた。

自分ができる整体のお手当てをしてあげて触れてみると、もう痛みじゃなかった。お腹に触れたら、一度柔らかくもなった。

死ぬときって楽になるんじゃないかなと思った。


その後1時間くらいで亡くなってしまったけど、その場に立ち会って、感謝の気持ちで手を当てられて、本当に良かったと思う。

おばあちゃんの人生にありがとうを言って祝福する気持ちだった。


病院で死ぬのが当たり前になって、

身近な暮らしの中で死に触れることがないので恐ろしく感じていたけど、

家族を看取って、死が怖くなくなった。

私は絶対自宅で死にたいと思っている。



出産って、女性って、素晴らしい!


一方、子どもたちの出産を通して思うことは、回を重ねるごとに「妊婦さんはお姫様なんだから」と自分を大事にしてあげることができたこと。

そして産むたびにいらないものが削ぎ落とされてく感覚がある。


そのたびに自分の軸がしっかりして、本当に欲しいものや、やりたいことがはっきりしてきた。


出産って最大限の自分の力を出し切って体の全てを使い切る感じが尊くて、

女性ってすごいよ、出産って素晴らしい!


女性が大事にされて尊厳を持って、性に対してもオープンでいられたらいいな。

それがないといくらお金を配っても出生率は上がらないんじゃないかなと思う。


「社会の豊かさは子どもたちの在り方ではかられる」というのはアフリカの英雄ネルソン・マンデラの言葉。

女性が満たされ、男性も本音で生きていく。そういった大人の背中を見て子どもが育まれる。そんな世界は幸せで、平和で、愛で、光だ。

子どもたちからはそれぞれ大切なことをもらってばかり。

今の自分がいるのは子どもたちがいるからだと思う。




インタビュー・ライティング/mossco

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