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大好きな料理を仕事に。私らしく生きるための経済力。

会社員(食品開発)/25才                                



生まれつき心臓にハンデがあった。

でも3人兄弟の中で一番活発で、自己主張もはっきりとした女の子だった。

体を心配する母の言葉をうっとおしく思い、さらには止められると余計にやりたくなる性分で、「言うと逆効果」と心得た母の無言の心配をいつも感じていた。



小さいころからお料理が大好き!


小さい頃から料理が大好きで、小学校に上がる頃には一人でカレーを作ることができたし、家にある食材で献立を考えて、母に代わって夕飯作りを一人で担当することもあった。

料理を作ると母がかまってくれ、褒めてくれる。

3人兄弟の真ん中である私にとって、そんな嬉しさもあったと思う。


小学校4年生になると、お料理教室に通い始めた。「女の子だから」と無理やり通わされてる子が多い中、私はまだ知らないお料理を教えてもらえるのがとても楽しかった。

ゲームはやりすぎたら怒られるけど、料理はいくらやっても怒られない。

そうしてどんどん料理にのめり込んでいった。



愛猫との運命の出会い


そんなお料理教室の帰り道、いつもは両親が送り迎えをしてくれるところ、たった一回だけ、両親の都合が悪くて一人で歩いて帰ったことがあった。


その時に見知らぬ猫がこちらに近寄ってきて、逃げる様子もなく、一緒に家に連れて帰った。

その運命の出会いから、今も一緒に暮らしている。


実家で暮らしている頃は、家族の猫アレルギーのため、泣く泣く祖父母の家に預け、毎日会いに行っていた。

「この子と一緒に寝たい」それが夢だった。

大人になって一人暮らしを始めたときやっとその夢が叶ってとても嬉しかった。

愛猫は人懐っこくて、いつも私にくっついている。この子がいたから、初めての土地でも怖くなかったし、この子がいたから今の私がある。人生の相棒だ。



亭主関白な父と、優しく従順な母。


両親は自営業。父が社長を勤める会社で母も一緒に働いていた。

母は優しくて、いつも無償の愛をくれる人。祖母からは「3歳からずっと反抗期が治らない」と言われていた私の反抗も、いつも全部受け止めてくれた。


一方父は厳しい人で、自分のルールを貫く亭主関白な人だった。父は怖い存在だったので父に反抗することはできなかった。

父の機嫌が悪くなると、兄弟は自分の部屋に逃げ込んでしまうので、母だけが標的にならないよう、一生懸命父の機嫌をとっていた記憶がある。

母はそんな父にもいつも寛大で、どんなに間違っていることにも「そうだねー」と受け入れていた。


そんな母が数年前、いよいよストレス性の病気になった。そんな母を見た周り人たちの勧めで、私の一人暮らしの部屋で一緒に暮らしたこともある。


私はずっと母を心配していたので一緒に暮らしていくつもりだったけど、しばらくして母は私に遠慮して田舎に戻り、その後あっさり父のもとに帰っていった。


私が一番母のことを理解しているつもりだったけど、母にとって何が一番よかったのかわからなくなり自問自答した。

父はいよいよ母がいなくなったとき、「もう家事も仕事もしなくていいから戻ってきてくれ」と懇願したらしい。

結局父は母なしでは生きていけない人で、母はどこまでも情深く優しい人だった。

親と言えども、夫婦のことはわからないものだと学んだ。



女性が夫に意見できる経済力。


そんな両親の姿を見てきたからか、

「経済的に自立をしていたい」という思いが強くある。

父と母のパワーバランスには、経済的な力関係が大きく関わっていると感じるから。

仕事においても生活においても、父が一番上にいた。母はずっとその支配下にいて、閉塞的な夫婦だったと思う。


だから私は、社会人として定職について、一人で稼いで行けるくらい、夫にまっすぐ意見を伝えられるくらいの経済力は持っていたいと思っている。


将来一緒に居たいなと思えるほど大切な人がいるけれど、結婚や出産をきっかけにキャリアが止まってしまうこと、仕事ができなくなることには不安と恐怖を感じる。



仕事ができなくなるのが怖い。


「働きすぎじゃない?」「休んだら?」と言われるのが嫌いだ。

それは、小さい頃母の心配がうっとおしかったのにも似ているけど、できるだけ仕事をして稼いでいたい、という気持ちがある。


仕事内容は食品開発。

小さい頃からの「好き」「得意」を生かした大好きな仕事だ。

学校では栄養を学んできて、調理や、栄養士のような仕事にも憧れたけど、やっぱり経済的に自立したい、なんなら大黒柱になれるくらい稼ぎたいという想いで今の仕事を選んだ。


休みの日には料理に関する副業もしている。

仕事が好きだし、1秒たりとも時間を無駄にしたくない。


自分が苦手なことはプロにお願いしたいと思ってる。

例えば私は髪を巻くのが苦手で美容室にお願いすることがある。その方がクオリティも高いし、その分自分ができることでプロとして仕事をしていたい。


子どもは欲しいけど、それまでにはある程度のキャリアを積んでおきたいと少し焦りがある。

仕事が好き、でもそれ以上に稼げなくなることへの不安は大きい。



「足りないもの」を探してしまう。


周囲に愛されて育って、家族やパートナー、友達にも恵まれ、好きな仕事をして、お給料をいただいて、健康な身体もある。

頭ではよくわかっているのに、何か満たされないといつも感じてしまう。


でも探しても探しても「足りないもの」が見つからない。

たくさんのものを持っているのに、

自分の中に染み込んでいかない。

それを阻んでいる膜は何なんだろう、といつも考えている。


パートナーにやんわり相談したら「与えていないからじゃない?」と言われたことが真理な気がしている。もらってばかりな気がしているのだ。

今やっている副業は、直接目の前のお客様から喜んでもらえるので、与えて、受け取る、その循環を感じやすくて、心が安定する。

束の間、両親とは違う他の家庭や夫婦を垣間見ることで、自分の家族の良さとか違いが見えて視野が広がるのも面白い。


なりたい女性像は…。


これからも、好きをしっかり仕事にしていたいし、自分の代わりがいない仕事をしていたい。

そしてその上で経済的に自立している女性でいたい。

でもなりたい女性像と聞かれて一番に思いつくのはやっぱり母。

矛盾する点もあるけど、母のような無償の愛を与えられる人でありたいと思う。



 


繊細な身体のライン、

お肌も髪もピカピカで透明感あふれる美しい彼女。

大きな声で主張するタイプではないけど、

しなやかな芯を感じさせる素敵な女性です。


大好きなお仕事を頑張りたい。

替わりのいない仕事をしていたい。

しっかり自立した女性でいたい。

そんな想いは、ご両親の関係から学んだもの。


そんな彼女を癒してくれる愛猫や恋人、

周りの温かい人々の存在。

でも、そんな愛を感じきれない、

受け取れていないと感じてしまう。

満たされてるはずなのに

まだ足りないものを探してしまう...。


彼女をイメージして、

降り注ぐようなお花たっぷりに描かせていただきました。

彼女の人生とは切っても切り離せない愛猫ちゃんも一緒に。


たくさんの愛が、

ありのままのハダカの彼女に降り注いでいることを

感じられますように。





インタビュー・ライティング/mossco

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