外資系OL / 44才

旅行でかつて住んでいた町を訪れた時、ご当地スーパーでなぜか涙を流していた。
そこは過去好きな人と結婚生活を送った地であり、その思い出は自分の人生で最も美しいハイライトだと思っていた。
でもスーパーで込み上げてきたのは、仕事で忙しかった元夫と一緒に買い物することも叶わず、寂しさで車で一人泣いていたときの気持ちだった。
日本人でもアメリカ人でもない、ミックスされたアイデンティティ。
母曰く、赤ちゃんの頃から「女くさかった」。小さい頃から異性を意識していて、男の子の前で着替えるのが恥ずかしいと感じていた。
幼稚園の頃には「もう一緒にお風呂に入りたくない」と父親の方から言われたほどで、セクシュアリティに興味を持つのも早かった。
子供時代のほとんどを過ごしたのが海外。生後3ヶ月で北米に渡って7歳までを過ごし、中学時代は東南アジアで過ごした。
小さい頃は自分が日本人だという自覚があまりなく、現地校でアメリカ人の友達と仲良く過ごしていた。
でもある時、日本から転校してきた子たちに、「あなたは私たちとは違う」とからかわれて泣いた記憶がある。
完全に「日本人」でもなく「アメリカ人」でもない、いわゆる「帰国子女」とも違うような気がする。
自分をなんとかラベリングしたかったけど、今はただ私は私だと思えている。
夫のうつとセックスレス。
30歳で結婚した彼は、家族以上に価値観や笑いのツボがピッタリ合っていて、
お互い愛し合っていた。その時間たちが心の中に美しく残っている。
でも結婚して数年たって、彼の仕事が猛烈に忙しくなり、彼がうつを発症、休職することとなった。
彼の故郷である地方都市に2人で移り住んだものの、うつを発症後はコミュニケーションやスキンシップが減り、ベッドも別々に。
自分にとってセックスはとても大切なコミュニケーションで、一人では叶えられないこと。それを受け入れてもらえない日々はとても辛かった。
ある休日の朝、くっつきたくて彼のベッドに潜り込んだけど、彼は「もう起きる。」とすぐに起き上がっていってしまった。
先の見えない不安と寂しさでいっぱいだった。
私を幸せにするための英断。
対話を求めても応えてくれない。スキンシップもない。夫婦の繋がりを全く感じられなかった。
口をひらけば「私のこと好きじゃないんでしょ!?」と自虐的な言葉で彼を責めた。
「離婚」という選択肢がよぎりながらも、それでも絶対に別れたくないと思った。
帰省でしばらく会えない朝の別れ際、いつもならキスをして見送るのに、その朝彼はそれをしなかった。
その時「あ、もう手を離したんだな」と悟った。なんとか繋ぎとめようと話し合いを持ちかけるも、それさえ叶わなかった。
まるで2人で孤島にいるようだった。
お互いがお互いにしか頼れなくて、それでも彼さえいれば幸せなんだと思った。
幸せにしたいし、幸せにしてほしい!
でもそのとき、ふと気づいた。
自分で自分を幸せにすることを全く考えていなかった。それに気づいて初めて「離婚」を考え始め、自分で決めて、彼に別れを告げた。
4年間葛藤したのに、自分で自分を幸せにすることをちゃんと考え始めたら1週間で答えが出た。
嫌いにならずに踏ん切りをつけられた。人生最大の英断だったと思う。
セクシュアリティという人生のテーマ。
自分の人生の中でセクシュアリティは大きなテーマだと思っている。
最近見たドラマの中の男性が言った「セックスってそんなに大事?」という言葉が胸に刺さった。
女がセックスを大事って思っちゃいけないですか?私って変ですか?と思った。
だからこそ、結婚生活の中でセックスレスはとても辛かった。
今は、子宮の疾患のため生理痛がひどいので、ピルで生理を止めている。
女性特有の生理を薬で止めていることは、どうかと思うこともあるけど、医師からは閉経まで飲み続けるように言われている。
母は「もう子宮取っちゃえば?」と言う。
そこには「もう妊娠しないんだし」というようなことが示唆されている。
昔は子どもが欲しいと思っていた。
子どもが産めない人生が恐いと思うほどだったし、妊活にあまり前向きでなかった元夫との離婚の決定打でもあった。
今は年齢的なこともあるし、いいと思えるようになったけど、子供がいないことをたまに寂しく思うこともある。
そういう旦那さんを選んで学びを得ていたのだなと思う。
自分の中の姫の願いを叶える。
本当の自分は、もっと尽くされたいし、周りに大事にされたい人。
自分の中にはもともとそんな、気高く凛とした「姫」気質があると感じている。今は「姫だったらどうするかな?」と自分の中の姫と繋がるようにしている。
今回のヌードアートも自分の中の姫を意識してポージングした。
からの、サレンダーな生き方へ。
(実はインタビューはここで一度終わっていたのだけど、その後の彼女にさらに大きな変化があったので追記。)
数年間「姫」は目指すべき姿であり、それをテーマに発信をしていた。
でもさらに自分と深く向き合った結果、今はそれさえ手放して、流れに身を任せて生きればいいと思える。
帰国子女であることなど特別扱いされて妬まれるのが怖かった自分にとって、
特別でも愛される「姫」は憧れの女性像だった。
でも、今思えばそれは嫉妬心を感じやすい母の価値観でもあった。
これまで母と一体になって物事を見ているような状態にあったけど、ようやく「心理的臍の緒」を断ち切って、母から自立し始めたと感じる。
昔は「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がしっくりこなかった。
「どこ行くんですか?!できれば首都圏に置いて欲しいんですが!」としがみついていた。
でも今はいろいろなこだわりがなくなって、コントロールを手放した。
ご縁のあるところに運ばれればいい。
心のゴミが取れていくと、問題だと思っていたことが問題ではなかったと気づく。
これからはより純粋な自分を生きていきたいと感じている。

インタビュー・ライティング/mossco
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