パフォーマー・2児のママ/39才

「ずっと安室ちゃんだけを見てきた!」
小学生の頃からずっと安室ちゃんに憧れていて、いつかやってみたいと思ってたダンスを始めたのは25歳のとき。
それでも私が人前で踊ることなんて考えてなかった。
私が踊ったところで誰得?と冷めた目をしていた。
こんなはずじゃなかった…。
自分で自分の人生どうにかしようと考えたことがなかった。
子どもが生まれたら幸せになれるかと思っていたけど、現実は違った。
夫の海外赴任先から東京に帰っていよいよ2人の子育てが始まるというところでコロナ禍。
「こんなはずじゃなかった」と思った。
子育てが辛い。疲れ果ててどこまでもみすぼらしい姿になっていった。
子どもがいなかったらもっと別の人生もあったかもと思った。
そんな中で見たSNSのキラキラ系ママに心底イラついた。
「どんだけ自分好きなん?イタイわー」と心の中でトゲトゲした気持ちを向けて舌打ちしてた。
でも、どういうわけかめっちゃ見てしまう。
子育てしながらも自分を表現している彼女たちにどこか憧れがあったのだ。
頑張ってるのにわかってくれない!
「いい家庭」を作りたくて奮闘しているのに、夫も子どもたちも思い通りの反応を示さない。
自分も家族もイヤな思いをしないようコントロールするのが正義だと思っていた。
だから子どもたちが自分で考えてやろうとしたことも、失敗する前に先回りしてやめさせた。
家族のために私ばっかり頑張ってるのに、誰もわかってくれない。
でも「家族のために!」って言ってる顔が恐い。
思えば母親もそうだった。
子どもの頃、「あなたのために!」と辛そうにしている母を見て、
「そんなだったらやらなくていいのに。私は望んでないのに」と思ったのを覚えている。
助けたくて手伝おうとしても「やんなくていい」と止められる。そんなことやめて遊べばいいのにと思って「遊ぼう」と誘っても一緒に遊んではくれなかった。
挑戦することへの恐怖。
何かに挑戦しようとした時も「失敗するからやめときなさい」と母に先回りして止められ、トライすることがバカバカしくなっていった。
いつしか情熱的に挑戦する人にニヒルな視線を向ける、冷めた大人になっていったのだ。
そんな自分があまり好きじゃなかった。
せめて子どもたちは自分のようにならないよう子育てしてきたはずなのに、私の顔色を伺って「まぁいいや」と挑戦を諦める姿に度々直面した。
イヤだった母と同じようなママになっているかもしれないと焦った。
夫にイライラすることも多かったけど、専業主婦の自分は離婚したところで生きていけない。こんな夫にでもすがるしかない自分が情けなかった。
そんな中でふと、好きなことで起業すれば私もステキになれるかもしれないと思い立って行動していくうち、なんでも相談できるメンターに出会った。
そしてメンターから投げかけられた質問が人生を変えた。
「自分を表現するデメリットがあるとしたら何?」それを聞いてハッとした。
「イタイって思われる」「そんなにかわいくもないのにって言われる」…自分が挑戦者に投げかけていた言葉そのものだった。
本当は人前でダンスがしてみたかったのに、その言葉に恐れて動けないでいた。
そして本当にやりたいことができてないモヤモヤを紛らわせるために、
「いい家庭」を作ろうと奮闘することに逃げてきたのだ。
そんな言葉を投げかける人の中には、そのときの私のように何かしらモヤモヤがあるだけ。それならどう思われようがその人の自由だと思えるようになった。
人前で踊るという大きな一歩。
人の目も失敗もすごく怖い。
でもやってもやらなくても怖いならやってみようと、思い切って仲間うちのオンラインイベントで踊ってみた。
楽しくて、嬉しかったし、見た人からも「よかったよ!また見たい!」と、怖がってたのとは全然違った嬉しい反応をもらえた。
それをきっかけに不特定多数の人が見るステージにも出るようになり、夫からも友人の結婚式で踊ってほしいと依頼された。
人前で表現することが好き!そうすることで自分が元気になるのを感じたし、安室ちゃんのようにスレンダーな自分の体が好きだったことにも気づいた。
ダンスで自分を表現するようになって、家族との関わりも変わっていった。
自分が一生懸命相手を変えようとしなくていいし、相手に合わせて自分が言いなりにならなくていい。
コントロールできるのは自分の行動だけだと気づいて楽になった。
そうすると、子どもたちの小さな挑戦をサポートすることにも喜びを感じるようになっていった。子どもたちには自分で自分の人生を切り開いていってほしい。
どう生きるか選択するのは私。
「今私はこう感じてるなあ」と自分の気持ちを俯瞰で見る癖もつけていった。
これまで自分の気持ちを大事にするべきと思っていたけど、そこにも落とし穴があると気づいた。
湧き上がってくる気持ちはただこれまで染みついたパターンだったりするのだ。
「そんなに頑張ってイミある?」
「失敗したくないからやめときな」
「子どもの言うこといちいち聞きたくない」
そんな自分の気持ちにさえ、言いなりにならなくてもいい。
38年間心の声の言いなりになった結果こんな感じに仕上がってるのだから!
どんな自分でいるか、どんな人生を生きるか選択するのは私だ。
心の声を振り切る怖さは母の言うことを聞かなかったときの怖さに似ている。
そんな時自分の心に投げかける質問は、
『本当にそれをやる為に生まれてきたの?』
勇気を出して自分の選択をした結果、自分を表現していくことを選び、無理のない範囲で子どもたちの挑戦をサポートできる自分になっていった。
もう一つ変わったのは夫婦関係だった。
争いを止めたのは正論ではなく…。
起業を思い立って最初に手をつけたのは不用品交換会の主催だった。
その時夫から言われたのは「ただの独りよがりだ」というような言葉だった。
最初は成果もないし、結果が出るかもわからない。そんな自信がない状態だからこそ、夫の言葉が刺さった。
夫との言い争いは戦(いくさ)のようだった。
相手を打ち負かすためのスキのない理論を用意して、論破戦を繰り広げていた。
夫婦間で価値観や意見が違っていたら家庭が崩壊すると思っていた。そうなったら私は生きていけない。
だから、相手の考えを聞くのがとても恐ろしかったし、そのときはどちらかが自分を曲げなきゃいけないと思っていたのだ。
でもメンターから、「価値観が違っても理解はし合える」とアドバイスをもらったときは目から鱗だった。
さらに、もし離婚したとしても死にはしないんだということに気づいて、初めて夫の意見にちゃんと向き合うことができた。
ある日、またどうしようもない論破戦が始まったときのこと。
「こいつキライ、マジでシネ。」という心の声を感じながら、
夫に「愛してるよ」と言った。
一緒に生きてなきゃケンカもできない。
夫の頭の中も怒りでグルグルしてキモい顔になっている。いつも通り正論を振りかざすこともできた。
でも全部ひっくるめて『愛してる』そんな自分を「選択」したのだ。
夫はその瞬間撃たれたようにたじろいで、
まんざらでもない顔で、
「ア、ア、アリガトウ…」と言った。
こんなんでいいのとびっくりした。
不毛な争いを止めたのは正論ではなく「愛してるよ」の一言だった。
夫の応援に感謝して自分を生きる。
それをきっかけに夫は話に耳を傾けてくれるようになった。
遠方でダンスの舞台に立つ時もそれに合わせて家族旅行を計画してくれたりするようになったのだ。私が踊ることで大きな収入があるわけではないけど、楽しんで応援してくれている。
今は転勤族の夫は東京で単身赴任中。
子どもをのびのびと育てたいというのは夫の理想でもあり、私は子どもたちと自然豊かな地方の古民家に移り住んだ。
そこで友人親子と共に小さなコミュニティの中で子育てをしている。
子どもの自主性を尊重しながら、ママ一人で頑張るのではなく、友人親子と協力し合って一緒に遊び、一緒にご飯を作って食べて暮らしている。
女性は、自分や子どもの人生において本当に大事なことは何かをキャッチしやすいし、追求したい。
それに対して、男性は理想論を捨てて、社会の中で現実的な役割を担っていることが多い。そこでぶつかっても、男性たちは報われないのだ。
家族を支えてくれている夫に感謝しながら、自分がやれること、やりたいことをやる。夫はそんな妻を応援することがある意味心の支えになっているように思う。

インタビュー・ライティング/mossco
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